自著のための補稿(鈴木智彦)

自著の資料、補足、写真、こぼれ話。

我が家のお隣さんは、ピアノ教室に水産庁【024p】

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団地住まいだった俺の夢は、一軒家だった。
マンションは暴力団の嫌がらせに対処しやすいのだが、どうしても戸建てがよく、30才の時、建売住宅を買った。70坪程度の敷地を持つ古い家が売却され、更地にして三軒分に分割し、スペースを最大限に生かして分譲住宅を建てるために図面が引かれた。俺が買ったのは三棟建ての中でも、表通りから母屋が見えない、奥まった場所に建築されるパターンのちょっと残念な家だった。

その分、木造三階建てを回避できたし、駐車スペースは広く、その気になれば車が2台置ける。玄関前に車を置くと運気を遮ると言われており、気にする人には敬遠されるらしい。安藤昇は自らの経験談から風水にうるさかったが、俺は非科学的なスピリチュアルは一切信じない。すべてを無視して生きてきた。随分前に、縁起がいいとされる日本古来の慣習を一切とりやめても不具合はなかった。

 

軽トラの向かって右側は同時期に売り出された建て売りで、2階建ての我が家とは違って縦に長い3階建てだ。俺が入居した際はまだ売れておらず、三棟建ての真ん中だったので最後まで売れ残った。入居したのは水産庁の官僚だった。その後、『サカナとヤクザ』を書き、農水省の書店で売り上げナンバーワンになるなんて、考えたこともなかった。

 

今年の頭、天下りに成功したのか、家族は唐突に引っ越していった。腰掛けと思って馴染む気がなかったのか、あまり挨拶をしない人たちだった。娘さんがいたが、親がそうだと、やっぱり挨拶をしない。目が合って「こんにちは」と言っても、無言のまま逃げるように家に入るのが常だった。まだまだ住めたはずだが建て壊され、新築された。越してきたのは若夫婦と二人の男の子で、今度は全員が挨拶を欠かさぬ体育会系である。

軽トラに向かって左側、グリーンの外壁のお隣さんは、奥さんがピアノ教室をしていた。写真で銅色の雨戸が閉まっているあたり、車のすぐ横がピアノの部屋である。建て売りを購入しようかと思い、内見をしているさいも、夕方になるとピアノの演奏が聞こえてきた。隣人の社会性は、住宅の大事な付加価値である。どうしても確認せねばならない。手土産を持って訪問した。奥さんは朗らかな女性だった。もう10年続けているそうだ。いまはもう娘さんたちが随分大人になっていて、書籍に書いたようなエピソードはまったく消滅した。「くそばばぁ!」という娘さんもの叫び声も、もうずいぶん聞こえてこない。

 

俺が入居して数年後、お隣のピアノ教室は自宅の塀の上に小さな、可愛い看板を出した。するとそこに書かれた電話番号に、匿名の苦情がひっきりなしにかかってきたという。名前は言わない。うるさいとしか。江古田は武蔵野音大もあるし、日芸にも音楽学科があり、ピアノのみならず、楽器の練習音があちこちから聞こえてくる。ピアノ教室は防音にも気を配っている。真横で車を整備していても、耳に届くのはごく小さな音でしかない。そもそも俺たちが引っ越してくる数年前から、ここにはピアノ教室があったのだ。いまさらではないか。

今回、敬愛する溝口敦に献本したところ、憧れのヒーローから「ABBAが弾けておめでとうございます」とメールが来た。本が出ておめでとう、なんて言わない。それは仕事で、当たり前の日常だからだ。溝口はメールでこう続けていた。

「結局、子どものころからピアノと楽器への興味があったんじゃないのという感じです。やはりオヤジがいきなり始めて、うまくなれるものじゃない。その前に素養と関心が必要です」

まさにそうだ。そして、ようやく気付いた。俺は隣がピアノ教室だったから、この家を選んだのだ。だからもし、今後、教室に苦情があったら電話を替わって欲しい。

「俺はピアノ教室を込みでここを買ったんだ!この音が心地よくて住んでいるんだ!」

夕刻の数時間だけ訪れる夢の時間を、台無しにはさせない。