自著のための補稿(鈴木智彦)

自著の資料、補足、写真、こぼれ話。

教会と日曜学校【P003】

 

f:id:yatasuzuki:20200331014424j:plain

俺が育った道営住宅Bー8団地

 

小学校から高校を卒業するまで、札幌市南区真駒内上町二丁目の道営住宅で育った。

 

上町は富裕層と低所得者層が混在する特殊な町だ。

中学の深田という社会の教師は、「ここは札幌で唯一のスラム街だ」とよく嘲笑っていた。歴史のない北海道なので被差別部落問題は存在せず、ほぼすべてが新しく北海道に移住してきた新参者である。教師は低所得者層が固まっている団地をそう表現したのだろう。

 

1丁目は野村證券の社宅やカゴメなど法人の寮が密集する企業エリアである。今はガソリンスタンドが出来たり、分譲マンションに変わっている。カゴメの社宅には庭にぷらんこがあって、その横に朽ち果てたT型フォードが置かれていた。ほぼスクラップではあるが、子供たちにとっては夢のマシンだった。

 

俺の住む2丁目はお屋敷街と二階建て・四階建ての団地が混在する、金持ちと貧乏人が共存する雑多なエリアだった。町内は世帯の所得によって見事に分断されていた。せせらぎの音が綺麗な人工の川が2丁目と3丁目の間にあって、川向こうはちょっとしたショッピングエリアになっていた。ポニーショップという名のショッピングモール(四階から上は分譲マンション)、スーパーマーケット、地元商店街があり、中川精肉店、品田米店、西野商店、藤塚文房具店、アジワイ用品店、喫茶店電気屋、レストランキャビン、銭湯や郵便局・銀行がひしめき合うように並んでいた。道路を挟んだ向こうは医療エリアで、村元内科、土本眼科、栄養短大がかたまっていた。村元は長く我が家のかかりつけ医で、とても優しい先生だった記憶がある。1度、北海道の長期滞在中に服用してる薬がなくなった際、顔を出してみたのだが、クソみたいに乱暴な口調の医者が継いでいた。

4丁目は文教エリアだ。カトリック教会は、上町のど真ん中にある公園と隣接していた。北海道の短い夏、この公園で盆踊り大会が開催され、午後8時までは北海子供盆踊りがエンドレスで流される。これが北海道だけの独自の文化と知ったのは、上京して東京の盆踊りを見た時だった。

 

youtu.be

 

 公演の隣に、俺の通った札幌市立真駒内小学校があった。とても変わった作りの校舎を持ち、一学年四学級だった。グランドは広く、築山があって、冬はその山でスキー授業をした。また4丁目はA団地の二階・四階建てもあった。

5丁目には自衛隊側がお屋敷で、集合住宅との境に駄菓子屋や春木自転車などがあり、その奥に警察アパートやC団地が建てられていた。ここも貧富の差が激しかったのだが

当時、子供にとって親の属性などあまり関係はなかった。

 

俺は団地の、つまり貧民の子だったけれど、幼稚園は上町のど真ん中にある聖母幼稚園に通わせてもらった。日曜には必ず日曜学校に通った。そこにあるピアノは、俺にとっての夢の入口のような存在で、毎週、その音を聴くのが最高の楽しみだった。

 

40代になって女の同級生(彼女は2丁目のお屋敷街に住んでいた)と一緒に、日曜のミサに顔を出したことがある。配られたパンフレットには誇らしげに卒園生の元宇宙飛行士・山崎直子さんが載っていた。有名人ってのは幼稚園にまで看板として使われるんだな……馬鹿馬鹿しくなり2人で笑った。


団地は貧乏所帯ばかりで、給食費免除の制度を利用していたのは、俺を含めすべてが団地の子ばかりだった。それでもあちこちの部屋にピアノがあった。北海道の鉄筋コンクリートは壁が厚く、生活音の苦情はなかったと記憶している。それともまだおおらかな時代だったのだろうか。

B8号棟のOさんも娘にピアノを買っていた。彼女は俺の3つ年上で、なかなかの美人だった。この家は禁止されていた犬(スピッツ)も飼っていたから、案外、やりっぱなしの不良住民だったのかもしれない。

上町にはこのほか、アジワイ用品店のすみかちゃんというすごい美人がいた(大人たちが振り返るほどだった)。彼女も俺の3つ年上だった。うちの父親は近所で有名な漫画狂いで、毎週、ジャンプ、チャンピオン、マガジン、サンデーに加え、花とゆめ少女コミック、マーガレットなどを買っており、両親同士が仲が良かったので、よくすみかちゃんが漫画を借りにきた。うちに来るのは大抵2丁目のお屋敷街でピアノ教室のレッスンを受けた帰りだった。

 

レッスン帰りのすみかちゃんはあまり楽しそうみえなかった。

「ピアノ好きなの?」
「ほんとはやめたいの。先生がすぐ叩くの」

みかちゃんは本当は運動がしたい、と言っていた。運動神経は抜群によかった。誰よりも足が早く、運動会ではいつもリレーの最終走者に選ばれた。6年生の時には最後尾から全員を一気にごぼう抜きして拍手喝采を浴び、見事優勝を勝ち取った。

 

そんなにも元気なすみかちゃんは、高校に入ると病気で入院を続けた。1度家に帰ってきた時、父親・母親と3人で見舞いに行った。部屋にアップライトのピアノがあった。

「すみかちゃん、ピアノ弾ける?」

みかちゃんは『猫踏んじゃった』を弱々しく弾いて、すぐベッドに入り、眠ってしまった。それからまもなくして、すみかちゃんは逝った。死ぬのもまた誰よりも早く、高校は卒業出来なかった。

 

いま、上町はどんどん人が減って、老人ばかりになっている。小学校も廃校になった。昼間、団地のあちこちにいた子供たちの姿はもはやない。スラムというより、将来は廃墟になるのかもしれない。