自著のための補稿(鈴木智彦)

自著の資料、補足、写真、こぼれ話。

東庄の十一屋を今風にいえば密接交際者

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東庄には天保水滸伝に出てくる十一屋が残っています。今は旅館をやめ、当主の陶芸展示室になっているんだけど、外観は往事を感じさせる渋いたたずまいです。ここでなにがあったかというと花会です。浪曲師は「はながい」と発音していますが、「はなかい」でも間違いではありません。

 

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『サカナとヤクザ』にも書きましたが、花会を東映任侠映画風に言い替えれば、総長賭博になる。主催者の博徒が金集めのために行う博奕のことで、客は主催者と同じ貫目のヤクザが集まってきます。総長の主催だから客も総長たちです。VIPの親分たちばかりが集まった博奕ということです。つまり十一屋は、暴力団が博奕場として借りていた旅館であり、密接交際者というわけです。

 こうした博奕は、たとえば刑務所に服役することになった総長のためとか、代目継承のお祝いなどで行われます。ところが天保八年、笹川の繁蔵が行った花会は、飢饉に苦しんでいた一帯の住民を救済するためでした。この心意気に賛同して、全国からスーパースター級の親分たちが遠路はるばる集まってきます。ところが、縄張りを接し、常時トラブルを抱えていた飯岡助五郎(博徒兼漁師の網元)は、いまふうにいえばわずかの賛助金を子分に持たせて、自分は欠席しちゃうんです。

名代となった子分は入口でその賛助金を渡そうとした。ところがたまたまこれをみていた笹川繁蔵がそれを奪うように持ち去っていきます。「うちの親分もケチだが、笹川もなかなかのもんだ」と呆れかえる子分。花会のため十一屋に上がり、全国から博徒オールスターが集結していたのをみて青ざめます。住民救済のための賛助金、その一覧が張り出されていたからです。

ところが笹川繁蔵は飯岡からの賛助金を、他の親分に匹敵する金額として張り出すんです。つまり飯岡の顔を潰さないよう、自分の金を足した。入口で賛助金をひったくるように奪っていったのはそのためでした。子分は感謝し、内心、男泣きする。このあたりはまどろっこしい日本らしさがたっぷりあって、たいへんヤクザっぽいです。そのうえ国定忠治清水次郎長など、登場人物が派手なためでしょうか、この『笹川の花会』は、天保水滸伝でも人気の場面になっておる。ヤクザのことを取材してきたライターの俺から言わせますと、飯岡がそういった態度を取ったのは笹川の策略だと思うんですけど、そこはまぁ、野暮なことは言わないでおきます。

  

浪曲や講談は、落語と違い興行においてヤクザとべったりだったので、『サカナとヤクザ』にもそのあたりの生々しい話を少し書きました。神田松之丞にも触れています。うちのかーちゃんは松之丞の師匠が好きなんすけど、天保水滸伝といえば玉川福太郎と思うので、リンクはそちらを貼った次第です。

 

利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟

 

これは天保水滸伝でもっとも有名なフレーズです。リンクした動画の冒頭部分です。天保水滸伝資料館には、天保水滸伝が大好きだった田中角栄がこのフレーズを書いた書が展示されています。そのまま暗記して下さい。任侠検定に出ますw