自著のための補稿(鈴木智彦)

自著の資料、補足、写真、こぼれ話。

千葉の喧嘩は銚子から始まる。銚子の喧嘩は飯沼観音から始まる。

戦後、高寅が熱心に寄進した銚子市の圓福寺は別名・飯沼観音という。戦後、一帯は銚子で最も賑わった繁華街だった。圓福寺は国道244号線を挟んで2つあり、おそらく観音前交差点近く、海側の五重塔があるあたりが、怪しげな店が建ち並んだエリア、言い替えればヤクザの巣窟だった場所と推測している。ただ、あまりに寂れすぎて、どのあたりがジャズ・ミュージシャンの菊地成孔のいう「浅草の周りに新宿と赤坂がくっついているような」繁華街だったのか判然としない。青線街だった田中町一帯も同様に寂れているが、まだこちらのほうが昔の怪しげな雰囲気を感じやすい。

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もうひとつの圓福寺に、天保水滸伝の悪役である飯沼助五郎、その親分である銚子の五郎蔵(木村勝五郎)が寄進した釜、そして五郎蔵の墓がある。

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釜は圓福寺の社務所に併設された宝物殿にある。

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墓には案内の札が建てられているが、分からなければ社務所で教えてもらえる。

このあたりの話は、天保水滸伝を知らないとさっぱりわからないので、せめてYouTubeに上がっている何篇か聴いてから出かけて下さい。逆に言えば、天保水滸伝に興味がある人にとって、銚子旅行は聖地巡りです。