魚河岸の親分、佃政こと金子政吉
佃政初代は、元来、日本橋の親分です。魚河岸が日本橋にあった頃からの縁だったはず。築地には「佃」の字を使った屋号が多いけど(理由はググると死ぬほど出てきます)、ヤクザもそうだったというのは面白いですよね。たぶん、みなさんが思ってる以上に大親分です。魚河岸の関係者が書いた本をみると、ガチで地元、魚河岸、政府関係者から尊敬されていたことが分かる。いまの暴力団とはまったく違う存在だったのだろう。
築地の一角……どえらい場所に関係者の家があるんですけど、表札は三代目の姓になっています。
現在、佃政一家は稲川会傘下で、当代は地元っ子ではないです。
このサイトをみると、2010年はまだ稲川会の法被を着た佃政一家の若い衆が、歌舞伎座にやってきた神輿の警備をしてるんだけど、いまはもう無理だろう。SNSにもヤクザや関係者、それを匂わすアカウントが登場し、他人の誹謗中傷と自分すごいアピールをするケースが多いですけど、あれ、暴力団のネガティブキャンペーンとしては最高だと思います。